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プノンペン 駆け足訪問記 (上)

空港からホテルに向かう道路沿いの空き地に多くの消防自動車や救急車が駐車していた。韓国製の車が多い。
空港からホテルに向かう道路沿いの空き地に多くの消防自動車や救急車が駐車していた。韓国製の車が多いように感じた。

11月4日から8日までカンボジアの首都プノンペンに行ってきた。神奈川県平塚市に協力して日本外交協会がプノンペンに救急車を寄贈、その引渡式に出席するための駆け足訪問だった。

毎日新聞を定年退職後、同社の外郭団体「アジア調査会」の専務理事(最初は常務理事)を約5年間務めたが、その間、海外に行ったのは台北駐日経済文化代表処に招待されて馬英九総統の出る国慶節祝賀行事を見に台北に行っただけ。ところが、昨年5月に日本外交協会常務理事に就任すると、今年8月4~7日に3泊4日でスリランカの首都コロンボを訪問する機会を頂戴したうえに、3カ月後にはカンボジアに行かせてくれたのだ。「何を寝ぼけたこと言っているのか。普通のサラリーマンだって日常の仕事でアジア諸国に行っている時代だよ」と呆れられるかもしれないが、カンボジア駆け足訪問の感想を記しておく。

約20年前に新聞社ソウル支局長なども経験したが、その後はすっかり国内派。初めての国を訪問するというだけで相当に緊張した。

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プノンペン第一回 七夕まつり

スリランカやカンボジアへの訪問は日本外交協会が実施してるリサイクル援助事業の関連である。日本で寿命を終えた消防自動車や救急車、塵芥収集車などを各自治体などから寄付して頂き、その車を再び走れるように整備して途上国に贈る事業だ。両国ともその車両の引渡式に出席するために、寺田事務局長と一緒に短期滞在で出かけた。

カンボジア事業は今年1月、神奈川県平塚市議会議員の野崎審也氏が日本外交協会に今月中に「協力してほしい」と電話してきたことがきっかけだった。

同氏によると、平塚市は日本で2番目に在日カンボジア人が多い都市だそうだ。温暖な気候などが母国に似ていることもあって、1980年代後半にカンボジア難民を受け入れると、徐々に定住者が増え、カンボジア人コミュニティが発達したらしい。そのうちに「日本三大七夕」のひとつ「平塚七夕祭り」に在日カンボジア人が協力、参加するようになり、その仲間から「カンボジアで平塚七夕祭りをやろう」と盛り上がり、様々な団体や個人の協力で今年11月5、6の両日、プノンペン市内で「平塚七夕祭り」を行うことになったという。

カンボジア料理の店で。右から在日カンボジアコミュニティ副理事長の楠木立成さん、平塚市椎木町の野崎審也さん、寺田恭子事務局長、ダニーさん、長田
カンボジア料理の店で。右から在日カンボジアコミュニティ副理事長の楠木立成さん、平塚市議の野崎審也さん、寺田恭子事務局長、ダニーさん、長田

野崎氏はカンボジア側の要請に応えて市議会や市役所に相談、その結果プノンペン市に平塚市消防本部が使っていた救急車を1台を寄贈することになった。その際のやり取りでプノンペン市側が「できればもっと救急車がほしい」と要請したのを受け、野崎氏が日本外交協会に電話をかけてきたのだ。

日本外交協会のリサイクル事業の詳細については協会ホームページのリサイクル援助に関するページを見てほしいが、外務省と協力して1983年に各自治体の備蓄用乾パンなどを譲り受け、カンボジアとエチオピアの難民に贈ったのが協会が海外援助を始めた嚆矢だった。

1997年からは海外に消防車、救急車、塵芥収集車などを贈り始め、この19年間で63カ国に930台の自動車を贈った。途上国の人命救助に役立てば、という全国の各自治体、消防署や関連企業などの善意のご協力の賜である。

カンボジアに対して日本外交協会は2001年にバッタンバンにあるNGOへ商業用印刷機をプレゼントしたことがあるだけ。カンボジアは左ハンドルの国であり、消防車、救急車であっても右ハンドルの日本車をそのまま走らせるわけにはいかない、と規則を厳格に守ってきたため、今まで協会から消防車、救急車を贈ったことはなかった。

今回は野崎市議らの努力もあって、右ハンドルでもOKということになり、平塚市の1台を含む救急車4台(大分市、長崎県松浦市、川崎市から頂いていた救急車3台を追加)をプノンペンに贈った。車両はすでに9月にプノンペンに到着していた。

成田-プノンペンに全日空直行便が飛んでいると知って驚いた。そういえば、数年前に全日空幹部が「アジア就航便を増やす」と言っていたのを思い出した。あれがプノンペン便だったのか。今年9月1日に就航を始めたばかりだ。成田を午前10:50に出発し、プノンペンには現地時間午後3時40 分(日本との時差は2時間。日本時間では5時40分)に到着する便で、帰りはプノンペンを午後10時50分(現地時間)に発ち、成田には翌日の朝6時30分(日本時間)に到着する。1日1往復飛び、ビジネスマンにとっては非常に便利な直行便ではないかと思う。

機種はボーイング787-8。座席数は240席(ビジネス42席 エコノミー198席)。まだ知られていないせいか、行きも帰りも座席には空席が目立ち、帰りの便では、私の乗ったエコノミー席でも1人で3人分の席を使い、毛布を被って寝ている人が目立った。

韓国の仁川空港で乗り継ぐカンボジア行きの飛行機はもっと安いらしいが、この直行便は日本人乗務員なので言葉の心配がないのが最大の安心材料だった。座席ごとについているディスプレーとイヤホンで、行きは有名な日本映画『シン・ゴジラ』を、帰りは大人気アニメ『君の名は。』を観た。快適な空の旅だった。

プノンペン国際空港にはホテル差し回しの自動車が迎えに来ていた。ゲートを出たところに運転手が英語で名前を書いた紙を持って待っていたので、すぐ分かった。空港から東へ一直線。乗った車はトヨタレクサス。空港-ホテルの片
道料金は一律12㌦と決まっているらしい。運転手さんは片言の英語ができたので、意思疎通に不便はなかった。

コロンボでもそうだったが、プノンペン市街では日本車が目立つ。それもトヨタのレクサス、ランドクルーザー、ランドクルーザープラド、ハリアーやマツダの人気SUV、CX-5や日産、ホンダのSUVなど高級車が多い。あとで交通事情に詳しい方に聞いたら、プノンペン中心部だけ走るなら普通のセダンでもいいが、雨が降り続くと道がすぐ冠水するので車高の高いクルマのほうが安心だし、プノンペンからちょっと外れると道路が悪く、四輪駆動車でないとおちおち運転できないと言っていた。

その高級車の隙間を縫って走っているのが「トゥクトゥク」という小型タクシー。といっても実際はオートバイに椅子、幌付きのリヤカーをくっつけただけの乗り物。小回りがきくので渋滞していても、大型車の前に無理に割り込んだり、自由自在に車線変更を繰り返したり、路地を通ったりしながら、大型車をどんどん抜かしていく。

これが典型的なトゥクトゥク。雨でも大丈夫
これが典型的なトゥクトゥクという小型タクシー。屋根もついているので、雨でも大丈夫。

このトゥクトゥクが滞在期間中の私たちの「足」だった。ホテルや名所旧跡、公園や大型スーパーなどの前に多くのトゥクトゥクが停まり、客引きをしている。乗る前には行き先を確かめたうえで、料金を決めておくのがトラブル回避の秘訣らしい。ホテル前などに停まっているトゥクトゥクの運転手はある程度、英語が通じるのと、プノンペンでは正規の通貨リエルだけでなく米ドルがそのまま使えるので便利だった(大体1㌦=4000リエル、100リエル=3円くらい)。

野崎平塚市議が七夕飾り付け職人さんたちと総勢7人で宿泊しているホテルに私たちも泊まった。ホテルの1階ロビーでチェックインをしていると、カンボジア人女性が「寺田さんですか」と話しかけてきた。日本滞在が長く、今はプノンペンでバス運行会社を経営しているポブ・ダニーさんだった。空港まで私たちを迎えに来たが、会えなかったのでホテルに来たのだという。今回のプロジェクトでは救急車の輸送費の一部を負担るなど大いに協力していただいた方である。

随分以前に東京で寺田恭子事務局長に会ったけど、空港では見分けられなかった、と残念そうだった。初日の夕食はダニーさんにカンボジア料理店で御馳走になった。野崎さんも合流し、打ち合わせもできた。引渡式の日程が当初予定の土曜日(5日)から日曜日(6日)に変更された。ダニーさんの車はトヨタのランドクルーザー。普通の車に比べ、車高が高く、座席によじ登る感じになる。慣れていないので昇り降りが一苦労だった。

ダニーさんが流暢な日本語で今までの経緯やプノンペン市の状況、カンボジア政府とプノンペン市の関係などを説明してくれた。実務部隊を率いる寺田事務局長は今までの経緯もすべて承知しているので得心することが多かったようだが、事情を全く知らない私にはほとんどチンプンカンプンだった。食後、ダニーさんにホテルまで送って頂き、部屋でシャワーを浴びて就寝。4日(金)夜はそうして暮れたが、トンレサップ川近くの空地で5日(土)、6日(日)の両日挙行する平塚七夕祭りの飾り付け準備で、野崎さんたちは5日は早朝から出かけるらしい。

コロンボに行った時は、日本外交協会の森田千博君が先行して行っており、私自身は式典に出るだけだったこともあって、通信手段は何も持たずに、日本で使っている携帯電話も電源を切っていたのだが、今回はアイパッドのような小型コンピューターを持って行った。メールチェックができるので便利だから、と事務局がすぐ使えるように設定してくれた。ホテルでワイファイのキーナンバーを入力したが、つながらない。面倒になって寝てしまったのだが、5日朝に寺田事務局長に聞いてみたら、つながる時とつながらない時があるという。ホテル宿泊客など、他の人がたくさん使っていると、電波を拾えないらしい。6日になってワイファイの電波を拾えるようになって、メールチェックができた。

使えるとなると便利さ加減が分かってくる。無料で日本国内とメールのやり取りができる。インターネットが無料でできるからスカイプを使えば日本への電話も無料でできるという。私のように電話はあまり利用せず、メールだけ利用できればいいという人間にとっては海外生活になくてはならない道具なのだろう。

昔はノート型コンピューターの電源コードも日本以外では三叉コンセントが必要だったりしたが、このホテルのコンセントは三叉でも二叉でも使える形。余計な器具が必要ないのはいい。世の中は徐々に便利になっている。

私はこの10年以上、腕時計をしていなかった。所属団体主催の講演会の司会をする時とかには懐中時計を引き出しから取り出して持っていくけれども、普段は携帯電話を時計代わりに使っている。ところが海外でも携帯電話の電源を入れると不要メールが入ってくる。メール受信にも国際パケット料金がかかるというので、コロンボの時も今回も携帯電話の電源はオフにしておいた。そうすると身近に時計がなくなってしまい、時間が分からなくなる。コロンボのホテルの部屋には時計がなく、時間を知るのに往生したので、今回は東京の100円ショップで腕時計を108円で買ってずっとつけていた。1秒の狂いもなく時を刻む。今や100円時計で用が足りる時代になったのか、と複雑な気持ちになった。(つづく)

写真 長田 達治(おさだ・たつじ) 1950年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。毎日新聞社記者、一般社団法人アジア調査会専務理事を経て、2015年7月より一般社団法人日本外交協会常務理事。

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