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東京タワーの下から

100年の歴史

 ペリーの来航(1853年)から占領の終わり(1952年)までちょうど100年。2014年に死去した岡崎久彦元駐タイ大使は雑誌『諸君』2002年7月号に掲載された坂本多加雄、北岡伸一両氏との鼎談で「日本が二十一世紀にどうなるか、どうすべきかを考えるには、この百年の歴史を曇りのない目で見ることが必要です」と語っている。

東京タワー
東京タワー通りをはさんだ事務所から見える東京タワー

岡崎久彦氏と粕谷一希氏の歴史観

 岡崎氏は「明治維新により、それまで続いてきた暗く長い封建時代が終り、一気に夜が明けて明るくなったという薩長史観は、米軍の占領で日本が一気に民主化、自由化したというのと同じ勝者の史観で、明治維新の評価を歪めてきた」(『日本人の歴史観』文春新書)と主張し続けてきた人である。

  また、『中央公論』名編集長として鳴らし、その後、『東京人』や『外交フォーラム』を創刊した気骨の言論人、故粕谷一希氏が東京都豊島区の中央図書館来館者20、30人を前に「日本の近・現代史――維新から今日まで――」という連続4回の講義をした時の記録が『歴史をどう見るか』(藤原書店)という本に収録されている。

 その開講の言葉は概略、次のようなものだ。

 「昭和史というのは、いまを生きるわれわれにとっては同時代史であり、現代史です。・・・自分がいま、生きている現代史を考えるには、近代史、つまり、明治時代以降の歴史をあわせて考えていかないと全体の構造が見えてこない。大日本帝国の興亡という大きなテーマを考えた場合、日本が太平洋戦争に負けたのは必ずしも昭和の軍人だけが悪かったわけではなく、明治、大正期に形成されていった大日本帝国というもの自体に問題があったというのが、私の大きな感想です。考えれば考えるほど、昭和史は昭和史で終わるわけがない。やはり、幕末、明治維新、明治国家、明治時代、大正時代――のことをあわせて考えていかないと、昭和の歴史の結論は出ない」

 

今、大きな文明の転換点に立っている?

 昨年は「戦後70年」ということで、安倍晋三首相の談話に注目が集まった。

 今年も昨年に続きシリア、イラクなどの無政府地帯に巣食うイスラム過激派組織「イスラム国」による欧州でのテロ事件や中東、アフガン、パキスタンから欧州への空前の数の難民大移動の対応に世界は追われている。しかし、これも歴史の淵源をたどれば第一次世界大戦で敗戦したオスマントルコ帝国の解体などに行き着くはずだ。

 アメリカ大統領選挙の共和党予備選で「へらず口大王」のようなトランプ氏が独走している。ヒラリー圧勝と思われていた民主党でも社会主義色の濃い老人が人気だ。欧州では移民排斥の動きが強まり、排外主義の政党が選挙で勢力を伸ばしている。

 これらは、もしかしたら、世界が大きな文明の転換点に立っている証かもしれない。少なくとも、私たち「団塊の世代」が戦後、当たり前のように教わってきた欧米型民主主義は絶対に正しく万能である、という考えが揺れているようだ。欧米型民主主義ですら一つの「時代の産物」だったのかどうか--。すぐには見えてこないだろうが、何十年も経てば、その輪郭が浮かんでくるのではないか。

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 昨年7月から、縁があって一般社団法人日本外交協会で働くようになった。

 いままでは皇居のわきにあるパレスサイドビルに入っている毎日新聞社とその関連団体アジア調査会に勤め、神保町や神田、大手町を歩き回ったが、生まれて初めて港区で働くこととなり、その維新前後からの名所旧跡の多さに驚いている。

 わが事務所は東京タワー北側の区道「東京タワー通り」を挟んで建つ機械振興会館の1階にあり、自席で振り向けばオレンジ色の東京タワーの脚が目の前に見える。

 岡崎氏や粕谷氏のような難しいことは書けないが、この近くを散策したり、近くの港区立みなと図書館で読書をしながら感じたことを、いろいろ書きたいと思っている。

写真   長田 達治(おさだ・たつじ)  1950年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。毎日新聞社記者、一般社団法人アジア調査会専務理事を経て、2015年7月より一般社団法人日本外交協会常務理事。

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