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東京タワーの下から

プノンペン 駆け足訪問記 (下)

色とりどりの果物が屋台の上に所狭しと並んで壮観。
色とりどりの果物が屋台の上に所狭しと並んで壮観。

6日(日)は朝から雨。ホテル食堂でバイキング料理を食べてから、寺田事務局長の案内で、セントラル・マーケットへ出かけた。幌の付いたトゥクトゥクは雨の日も大活躍である。

例年11月上、中旬に雨季が終わり、3月ごろまで乾季になるという。この雨はもしかすると今年最後の雨だったのかもしれない。セントラル・マーケットに着いてもやむ気配は見せず、マーケットの狭い通路の上にかぶせた雨よけビニールに開いた穴から雨水が滝のように勢いよく降ってくる。

手作りの小さくてきれいな木箱、動物を形どった布製のカラフルなお人形、色鮮やかな温かそうな写真立て、色とりどりの絹のマフラー、カンボジアの名所の写真などをプリントしたTシャツなどの小物を店先に所狭しと並べている店が多い。その色彩の繊細な美しさは日本の色彩感覚に似ている。小物にも食指が動いたが、何といってもびっくりしたのは果物の種類の多さだった。

日本ではあまり見ることのできない蓮の花が束で売られている。蓮の実もある。料理に使うのか?バナナは東京の八百屋やスーパーで見かけるものより二回りほど小さい。昔、モンキーバナナと言っていた部類のバナナだろうか。マンゴーも豊富だ。マンゴーに似ているジャックフルーツは食欲をそそる真っ黄色の実だ。マンゴスチンは赤い果肉に指を突っ込んで、果肉を削ぎ落とし、中のニンニクのような白い芯の塊だけを食べる。ホテルの朝食でよく食べているドラゴンフルーツやさまざまな柑橘類は瑞々しい。北国の果物と思っていたリンゴがあったのにも驚いた。赤いもの、青いもの、小さいのや大きいのなどたくさんの種類が並んでいる。

ハスの花、つぼみが野草と一緒に無造作に売られている
ハスの花、つぼみが野草と一緒に無造作に売られている

幾つか試食させてもらったが、見た目と味がマッチしているというか、思った以上に美味しい。植物検疫があるので日本へのお土産に買って帰れないのが残念だ。

田舎から出てきたような小母さんが売っていた天然のココナツジュースを飲んでみた。道端にココナツの青い実を積み上げ、ナイフで器用に実の上の方を削って、そこにストローを刺して渡してくれた。小ぶりのスイカをもう少し小さくした、というか、ハンドボールの球くらいの大きさの大ぶりのココナツだったので、飲んでも飲んでも飲み終わらない。ようやく飲み終えて殻を小母さんに返したら、手真似で「少し待っていなさい」と言われ、今度はココナツの殻を割って、中の白い身の部分をナイフで削り取り、殻を受け皿に、楊枝を付けて手渡してくれた。楊枝で刺して食べるのだ。さっぱりした薄味だが、ちゃんとココナツの爽やかな味がして、美味しかった。

小物を扱う店も多かった
小物を扱う店も多かった

セントラル・マーケットはフランス植民地時代につくられた市場だという。プノンペン市民の胃袋を満たす食料を売る店も多く、メコン川、トンレサップ川で獲れた川魚はナマズや草魚の類が板の上に並び、鶏や豚を解体した肉や内臓を売る店も。市場にはそれを料理して丼ものや定食などを食べさせている食堂もあり、近所の人たちだろうか、鈴なりになって食べていた。

他の国にもこういう市場はあるのだろうが、私は昔行ったことのある韓国ソウルの南大門市場を連想した。今は近代化されただろうが、昔はこのセントラル・マーケット同様、田舎から出てきた行商の小父さん小母さんが片言の日本語を駆使しながら表通りでジーパンやジャンパー、メガネや一日で仕上がるオーダーメイドスーツを格安料金で売っていた。路地を一歩入ると切り取られた豚の頭や足、唐辛子や香料、白菜や大根などが所狭しと並んでいる。日本人の男が1人で歩いていると、必ずと言っていいほどポン引きがつきまとい、流暢な日本語で女の子の世話をするとささやいた。

セントラル・マーケットで食事をする地元の人も多い。市民の胃袋でもある。
セントラル・マーケットで食事をする地元の人も多い。市民の胃袋でもある。

 

庶民のエネルギーが感じられる市場は外国に行った時には必ず見ておくといい、と思った。その国の「本音」が何となく感じられるからだ。

 

 

大雨に濡れながら、セントラル・マーケット前の大通りに待たせてあったトゥクトゥクに戻って、運転手のお兄さんに「イオンモールに行って」と頼み、篠突く雨の中を南に一路突っ走った。イオンモールで小物を買うなどして時間をつぶし、午後3時過ぎに七夕祭りの広場に行ってみたが、雨の勢いは衰えておらず、昨夜の喧騒が嘘のように屋台も少なく、人手もポツリポツリとテントで雨宿りしているだけだ。

つい先程、プノンペン知事側と調整し、知事が出席する救急車引き渡し式を7日(月)に延期することを決めた、とダニーさんが知らせてくれた。

野崎市議は平塚市議会主催の視察旅行に出かけるので、6日夜にはプノンペンを発たねばならない。「何とか6日夕に引渡式を挙行してほしい」と粘っていたが、知事側の意向は覆らず、式典は延期されてしまった。そうなっては、こっちもスーツにネクタイという格好でいる必要はない。一度ホテルに戻り、普段着に着替え、また七夕祭りに戻ってきた。

皮肉なもので、延期を決定した後から雨は小降りになり、午後6時にはやんでいた。しかし、そこまで決行か中止かの決定を待つわけにもいかない。やむを得ない決定だったが、精魂込めて下準備をしてきた野崎さんには誠にお気の毒な雨ではあった。

 

 

マエン・サムオーン副首相(左から3人目)と一緒に記念撮影
マエン・サムオーン副首相(左から3人目)と一緒に記念撮影

7日(月)は私たちが使える唯一の平日である。お役所が開き、一般の会社も営業しているため、私たちにも予定がたくさん入り、目が回るほどの忙しさだった。

朝7時にホテル2階食堂のバイキング料理で朝食を済ませ、一応荷物をまとめ、8時半に1階フロントでダニーさんと待ち合わせ。ダニーさんの車で上院・下院関係省という日本では聞き慣れない名前の役所を訪ねた。庁舎に着く直前、庁舎隣の喫茶店に省職員を呼んで最後の打ち合わせ。カンボジアに7人いる副首相の中で唯一の女性副首相マエン・サムオーン上院・下院関係・検察大臣と面会する準備である。

通訳をしたダニーさんによると、サムオーン副首相は酒も飲まず、カラオケにも行かず、おしゃれにもカネを使わないカンボジア女性のあこがれの的の清潔そのものの女性だそうだ。ベトナム国境の貧しい町、スヴァイリエン選出の国会議員で、役人と業者との癒着、汚職や横領などの国家犯罪に目を光らせ、威名は全国に鳴り響いているという。そういう「実力者」なので会う前の打ち合わせは綿密にしなければ、ということのようだった。

10時ちょうどから約40分間にわたって大臣応接室で面会したマエン・サムオーン副首相はしかし、どこにでもいる気さくで庶民的な女性という感じを受けた。日本からの援助に謝意を示し、今回の救急車寄贈にも心のこもった謝意を表してくれた。地元スヴァイリエンは平野が広がる穀倉地帯だが、自治体は非常に貧乏で、消防車や救急車まで手が回らない。住民は火事や急病に怯えており、消防車や救急車を援助して頂ければ有難いという話も出た。

4台の救急車の前で鍵の引渡式を行った。中央右がパー・ソチアッタボン・プノンペン理事
4台の救急車の前で鍵の引渡式を行った。中央右がパー・ソチアッタボン・プノンペン知事

10時半からプノンペン市庁でパー・ソチアッタボン・プノンペン知事が出席して歓迎式と引き渡し式を行う予定だったが、副首相との話が長引いたため30分ほど遅刻。しかしソチアッタボン知事は嫌な顔ひとつ見せず、日本の関係者に深甚な感謝を表明してくれた。先に帰らざるを得なかった野崎さんに代わって、七夕祭り運営のために平塚から駆けつけた方々が感謝状を預かったが、知事はわざわざ野崎市議の名前をあげて感謝を表明していた。

引き渡し式には、外せない用事があって欠席した堀之内大使に代わって鴨志田尚昭・在カンボジア日本国大使館参事官が駆けつけてくれた。またJICA(国際協力機構)の安達一カンボジア所長、JETRO(日本貿易振興機構)プノンペンの伊藤隆友上級投資アドバイサーもや日本人会の関係者も5日の開会式か7日の引き渡し式には顔を出してくださった。

市役所中庭で救急車4台をバックに鍵の引き渡し式。お礼に記念品を頂いて、市役所を後にした。カンボジアでは日本とシステムが違って、救急車は各病院に所属し、病院から救急車が出動するそうだ。消防は警察所管。日本のように消防が消防と救急を両方扱っているシステムに慣れていると、相当に違和感がある。この4台の救急車もそれぞれ病院に引き取られて、患者搬送に使われることになる。

 

 

プノンペン消防署の署長が日本人学校の生徒からプレゼントされた感謝状を手に英語でプノンペン市内の状況を説明してくれた
プノンペン消防署の署長が日本人学校の生徒からプレゼントされた感謝状を手に英語でプノンペン市内の状況を説明してくれた

プノンペン知事側近に消防署の場所を教えてもらい、プノンペン消防署を訪問。早速、署長さんにプノンペンの消防・救急事情を聞いた。

―― プノンペンには消防署はいくつあるのか。

署長 以前はここ一つだけだった。すべてここで対応していたが、初期消火に間に合わないことも多く、今は8カ所に分けることができた。古い消防車も多いが、寄贈された車両は修理しながら大切に使っている。しかしビルも高層になっており、はしご車なども必要だ。また、いろいろな機能の部品がついているが、こちらの消防士はそれを使い切れていない。技術指導が必要だ。ぜひ日本の消防士の人たちに教えてほしい。日本は地震や津波も多く経験が豊富だ。たとえばビルが倒れた時にすべきこと、してはいけないことなどを教えてほしい。

―― 8カ所はどういう状態か。消防士は何人いるのか。

消防士が待機する部屋には「相模原市消防」と書かれたヘルメットも。日本からの援助が目に見える形で活かされているのを知ることができる
消防士が待機する部屋には「相模原市消防」と書かれたヘルメットも。日本からの援助が目に見える形で活かされているのを知ることができる

署長 ここが一番大きい。二番目はルサイク。この2カ所はしっかりしているが、他の6カ所は警察署の中に置いてあり、消防車を覆う屋根もない。消防士は全部で176人。女性も6人いる。シフトで2組に分け、88人ずつが交代している。消防車をはじめいろいろものが不足しているが、フン・セン首相も「急がず焦らず1台1台増やしていきましょう」と言っている。

消防車はカンボジア全体で44台。うちプノンペンに24台あるが、中には故障して使えなくなった車両もある。水が足りないところに行った場合、最初の車両がホースで建物に水をかけると次から次に来る消防車は水を先頭の車両に渡すのが仕事になる。他の国のように消火栓が完備していないからだ。

だから、消防車はいつも水を満タンにして現場に駆けつけるので、車が壊れやすい。

消防士教育は喫緊の課題だが、なかなかうまくいかない。というのは消防士は給与が安く、他で働きながら消防士をしている人が多いからだ。

昔はカンボジアの消防署はお金があるところにしか消防車を出さなかった。消火すると、300㌦、500㌦と金を受け取っていた。私は2年前にこのポストについたが、その悪弊を私になってから止めさせた。経済特区の企業などが喜んで、感謝状をくれた。今は「お金をもらわない」「住民の命や財産を守ることが第一」という意識改革を徹底しているところだ。

 

 

プノンペン市というより、日本に引きつけて考えれば、プノンペン都といったほうが正確だろうが、そこの消防署長さん、というか東京都消防総監のような立場の方の話は現場中心で分かりやすく、カンボジアの消防事情がおぼろげに理解できた。

署長はプノンペンの日本人学校の生徒たちが消防署を見学した後に描いた絵を贈られたと、子どもたちの描いた絵を見せてくれた。感謝の思いがこもった絵だった。消防士の控室の帽子掛けにかけられたヘルメットを見ると、静岡県の消防署の名前が大きく書かれたヘルメットがかかっていた。日本の善意は、こういふうに見えないところで役立っている。

消防署長にお話を途中で切り上げていただき、時間がない中で向かったのは日本人の元レスキュー隊員が在カンボジア日本人相手に保険会社を経営しがてら、カンボジア消防署員たちにボランティアで技術指導しているという雑誌記事を見て、寺田事務局長が執念で探し当てた「イッシン」という会社の事務所だった。

元レスキュー隊員の松崎さんはあいにく東京に出張していて、入れ違いでお会い出来なかったが、事務所の他の日本人スタッフが丁寧に応対してくださり、その後松崎さんからもメールをいただいた。

日本の各自治体のご厚意で消防車、救急車を途上国に贈っても、一度故障すると修理方法が分からず、そのまま打ち捨てられてしまうケースがあるという。そういうことのないよう、消防車のメンテナンスの指導を行い、また、効率よく火事を消火できるよう、消防士のスキルアップする–。松崎さんたちと日本外交協会が組んで何かできればいいなぁ、と思った。

 

 

「イッシン」事務所からダニーさんの車で大きな中華料理店に連れて行ってもらい、お腹いっぱいごちそうを食べ、セントラル・マーケット経由でイオンモールまで送って頂き、ここでダニーさんとお別れした。道が空いていたので、ダニーさんの車は日本がODAでトンレサップ川にかけた「日本・カンボジア友好橋」 (日本橋、クメール語の通称はスピアン・チュポン)の近くにあるダニーさんの会社に寄った。もう暗くなりかけていたけれども、日本橋の勇壮な姿がはっきり見えた。

ダニーさんの会社には王宮を案内してくれた長距離バス運行管理責任者の藤田季宏さんと、もう一人、雑誌を編集している日本人の方がいた。もともと学校の先生だったそうだ。ゆっくりお話をうかがいたかったが、空港に入らなければいけない時間も迫っており、残念だったが、挨拶だけでお別れした。

ダニーさん、本当にお世話になりました。

イオンモールで家族へのささやかなお土産を買って、トゥクトゥクでホテルへ。午後7時半過ぎにチェックアウトをして、行きと同じタクシーで一路プノンペン国際空港へ向かった。

空港が近づいた頃、見たくない風景を見た。真っ暗になった中、空港までほぼ一直線の大通りの左右双方に赤やピンク、紫、青、黄色のネオンが、浮かび上がったのだ。私はボーッとしていて気付かなかったが、寺田事務局長に「あの灯りは……」と指摘され、ようやく気付いた。カラオケの店なのだろうか?何らかの風俗の店であることは間違いないが、一見すると売春宿のようにも見える。その景色が空港まで延々と続いているのだ。

来る時に気づかなかったのは時間が早く、周囲が明るいため、ピンクのネオンが光っていなかったためだろう。「人身売買」はまだ続いているのだろう。1990年代、極貧にあえぐカンボジアでは、あちこちに“売春村”が存在した。その中でも未成年の少女を集めて売春させていた「スワイパー村」は世界に悪名をとどろかせ、2000年ごろから世界の人権NGOが少女たちの救出に乗り出した。カンボジア警察は2003年、一斉摘発をして、その売春村を壊滅させた。しかし、売春そのものがなくなったわけではない。

だが、「売春は忌避すべき現実」という感覚は、実は大昔から一般的だったわけではない。日本では1980、90年代から徐々にその方向に世論が収斂してきただけで、70年代までは売春を「必要悪」と見る人が多かった。カンボジアに引きつけて見てみれば、1999年に映画化された『地雷を踏んだらサヨウナラ』はカンボジアでクメール・ルージュによって処刑された報道写真家、一ノ瀬泰造氏が残した写真や書簡をまとめて78年に出版された本が原作だが、この本の中で戦争や弱い者いじめを憎む一ノ瀬青年はカンボジアの少女を買春している事実を何のケレン味もなく友人への手紙に書き連ねている。当時は正義を愛する青年にとっても、買春は日常の延長の中にある些細な楽しみだったようだ。時代とともに価値観が大きく変わった。今では買春は窃盗や痴漢などと同じような犯罪という「常識」が行き渡ってきていると思う。その常識は昔にはなかった。

全日空機に乗って、映画鑑賞の体勢に入ると、そういう面倒くさい思いや憂鬱は体から抜け落ち、人気アニメ映画『君の名は。』の世界に浸ることができた。『君の名は。』を観終えて、まだ時間があったので、テレパシーを持っている男と結婚する女性を主人公にした森本梢子による人気コミックスを実写化した、綾瀬はるか主演の映画『高台家の人々』も観ることができた。その代わり、寝不足になったが。成田着は予定通り8日朝6時半だった。

最後にダニーさんの会社を訪問、記念撮影をした。寺田事務局長の左右の女性は会社の従事者
最後にダニーさんの会社を訪問、記念撮影をした。寺田事務局長の左右の女性は会社の従事者

短い期間のカンボジア体験だったが、救急車を寄贈してくださった自治体の皆さんをはじめとする善意の総体がカンボジアで花開いているのを、この目で確認できたことは非常に良い経験だった。

寄贈してくださった自治体関係のみなさん、故障なく使えるように一所懸命に整備してくださった修理工場のみなさん、日本外交協会の職員のみなさん、そしてカンボジアでお世話になったみなさん、本当に有難うございました。(おわり)

写真 長田 達治(おさだ・たつじ) 1950年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。毎日新聞社記者、一般社団法人アジア調査会専務理事を経て、2015年7月より一般社団法人日本外交協会常務理事。